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第二子を出産いたしました

みなさま、大変大変ご無沙汰しております。

すっかり忘れ去られているとは思いますが、クサノヒロミです。

久しぶり過ぎて、ブログにログインするのに30分以上もかかってしまいました(;^_^A
そして更新画面も、どうやって使っていたか思い出せませんw

この度、5月23日10時27分に、第二子となる女児を出産いたしました!
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今回は無痛分娩でしたので、前回のお産とはまるで異なるものでした。
同じ人の出産とは思えないほど全く違いました。

これからまた1年間育休ですのでぼちぼちブログも更新していけたら、と思うのですが、何しろこうやってゆっくりPCに迎えたのが産後45日なもので、、、どうなることやら。

ひとまずご報告でした。
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# by kusanohiromi | 2018-07-07 16:25 | 家族  

ありがとう、さようならスタジオ分家

すっかりご無沙汰しております。
1年5ヶ月ぶりのブログ更新です。覚えていらっしゃいますでしょうか(汗)。
クサノヒロミです(笑)。

フルタイムの仕事と子育てで、すっかり自分の時間というものがない日々を送っております。
あんな事やこんな事、ブログに書きたい大事件など色々とありましたがゆっくり一人でPCに向かう時間のない生活・・・。
そんな中、今回朝5時に起きてまでブログを更新させるに至った大きな出来事があるのです。

1年5ヶ月ぶりに私をPCに向かわせた大きな出来事とは・・・。


吉祥寺スタジオ分家、閉店。


「第二の家」と勝手に言い続けて来た吉祥寺の老舗スタジオ「分家」。
吉祥寺に住んでいた7年間、本当に私の居場所は「家にいなけりゃ分家にいる。」という状態でした。吉祥寺から多摩市に引越して3年、出産して3年で最後はほとんど来れなくなっちゃったんだけど、その昔は本当に分家に入り浸っておりました。

どれだけいたか、それを表すのに店長の田原さんに言われるのは、
「個人練習でポイントカードを全部貯めたのはスタジオ始まって(32年)クサノさんと赤石(?)くんだけだよ。」と。
このポイントカード、500円で1ポイント。バンドマン向けに出来ているので一度に10ポイント押すような人たちが有効期限内に貯められるように出来ている。
それを毎日1時間、2時間せっせと通って全部貯めたのです。
それだけ分家に通っていたのですね~。
しかも、練習のためだけに分家に行っていた訳ではないのです。

このスタジオ分家。

どのような場所かと言いますと。

吉祥寺の歴史ある老舗スタジオで、本当に多くのミュージシャンに愛されてきた場所なのです。
数々の有名ミュージシャン、ロックスター、皆さんの知っているところだと斉藤和義さんとかレヨナさんとかも使っていましたし、そうだTSUNTAさんも使ってたよね~。
時々練習一緒になって「ひろっぴぃ~!」「ツンタさーん!」としゃべったなぁ~。
てか私がTSUNTAさんに分家を紹介したんだった!
とにかく30数年間、本当にたくさんのミュージシャンを輩出してきました。

あの地下の、薄暗くて、汚い(失礼)場所が、どうして30年以上もみんなにこれだけ愛され続けてきたのか。
他に、キレイで新しくて、設備が最新のスタジオは、吉祥寺にいくらでも後から出来たしたっくさんあるのに、なぜこれだけ人が吸い込まれて行ったのか。

それは、それは、それは。
店長の田原さんという人の人柄があったからなのです。

あーーーー。涙出てきたぁぁぁぁーーーー!

私が14年前音楽をやりに上京してきたとき。
安くてグランドピアノを弾けるスタジオどっかにないかな、と思っていたら親友のミュージシャン児玉マリが分家を紹介してくれた。
マリに連れられて汚い薄暗い地下に下りていくと、ボロボロのドアがあってスタジオがあった。
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そこに主のように田原さんがいた。

その日から、私は分家に通い続けた。

それは練習はもちろんだけど、練習だけではない時間がそこに流れていた。

他愛もない田原さんとのおしゃべりタイムだ。

この店長の田原さんという人。
なんだろ、歯に衣着せぬ物言いなんだけど決して毒ではない、、、人の意見というより時々神様の意見なんではなかろうか?と思うほど客観的で俯瞰でものを見れる人なんです。
フラットでニュートラルで、偏りがなく、飾りもなく、大げさでもなく、特別見方するわけでもなく絶対に敵でもなく。
そんな田原さんのトークマジックに、気付けばみんなが魅了されていて、スタジオに行けば必ず誰かがいてしゃべっている・・・。
そんなスタジオだったのです。

「おはようございまーす!あ、〇〇くん。」
で、2時間練習して出るとまだいる〇〇くん。
今度は自分が田原さんと喋りだし、次のミュージシャンがスタジオに入る。
次の人が出てきて「あ、もう2時間もしゃべっちゃったね。」
そんな場所だったのです。

そこにいつもいたメンバー。行けば必ず会えたメンバー。
仲良くさせてもらっていたバンド、ハイウェイ61とか、新井くんとか、マチくんりょうくんのりくん・・・。
他にも名前は分からないけど行けばよくいた人、いるなぁ~。

スタジオが取れなくて練習できない日でも、ふらっと地下に下りていって「田原さ~ん。」としゃべり始める。

私は親にだって言えない、言ったことのない話、田原さんには何でもした。
親どころか人に言えないあんなことやこんなこと、本当に神様にお話するように何でもお話したのです。懺悔室かよ(笑)ってほど。

迷った時はとにかく田原さんの声を聞きに行こう。
落ち込んだ時は田原さんのところに話を聞きに行こう。
めっちゃ嬉しいことがあったから田原さんに報告に行こう。

とにかくなんでもかんでも田原さん、田原さん、だったのです。
本当に。

そんなスタジオ分家が閉店し、田原さんは実家へ帰ることになったのですが、最後のライブが行われました。

2016年7月2日、3日分家ファイナル。

たまたま2日が休みだったので、お昼に花束を持って息子を連れて顔を出しました。
Bスタのドラムセットを運び出したばっかりの黒い埃だらけの汚い床の上を敢えてハイハイして動き回る3歳の息子をじーーぃっと見つめた田原さんは「ほー、やっぱり男の子ってバカなんだなぁ。」と一言。

(爆)!!!

コレコレ!田原さん!!!ほんと人の子とかおかまいなし!
そういうところが大好きなんだよ!

たくさん弾いたAスタのグランドピアノ。
このピアノで何百時間練習しただろう・・・。
レコーディングもしたなぁ。
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そしていよいよ本当にファイナルの3日。

仕事終わりに駆けつけた私に田原さんが「クサノヒロミさんに2曲歌ってもらいます~!」といきなりみなに紹介。

もうライブ、2年3ヵ月前に一度復帰ライブをしたけど、その前も1年やってないから3年ぐらいまともにライブやってないんだよな。
人前で歌うのもピアノ弾くのもかなり久しぶりだけど、田原さんが最後とあれば歌うよ!
弾くよ!
こんなこともあろうかと、歌詞ノートだけは持ってきといてよかったよ!

1曲は絶対にバラード歌ってというリクエストがあったので
「引力」そして田原さんを送り出す歌「ステップラタタ」。

この歌詞、ぴったりだー。


「何かをやめるのはとても勇気がいることです。今までも十分待ったから、最後に決めるのは自分。
居心地のいい場所から去るのはとても力がいることです。人は自分を変えてくれはしないから 変わりたいなら自分で変わる。」

って。本当に居心地よかったなぁ。
田原さん、勇気いっただろうなぁ。

とってもいい感じで歌わせてもらって盛り上がってイエェーイって2曲歌い終わったところで田原さん。
「もう1曲歌って!」って。ええっ(笑)。今すっごくいい雰囲気やったやん。
ここで1曲って何歌えばいいん(笑)。こういうところがほんと、田原さんなんだよな~。
「泣きながら歌ってよ~。」とか言われて、涙マジで引っ込んだわ(笑)。

歌う前まで号泣してたけどね。

ライブはどんどん続きます。


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ハイウェイ61のドラムだった勝さん(個人練習ではダントツ遭遇率が高かったなぁ~。私もよく練習してたけど、勝さんもほんとよくスタジオに入ってたなぁ~。)のバンド『マントル』。
インストなんだけどめちゃくちゃかっこよかった!!!
みんなが椅子を片付け始めたから、最初座ってた私は「そんな感じ?」とか言ってたけど気付いたらめちゃめちゃ踊ってたし(笑)。

そしてPJさん。
いきなりMCで「俺が一番の分家loverだ」と言い張るので「いやいや私も負けてないし。」と思ったらPJさん。
なんと13歳から現在の47歳まで、田原さんが店長になる前のアルバイト時代から分家を利用しているそうで!!!
恐れ入りましたぁ~~~!

13歳だったPJさんがレゲエの世界に入って、メジャーデビューして、その後も今までずっと分家を使ってきた話。
じーんとすると共に、長い分家の歴史を感じました。

ああ、もう本当になくなっちゃうんだな。
吉祥寺に来たときとりあえず寄ってしゃべる場所がなくなっちゃうんだな。
こんな場所、もう他にないよー。

新井くんのライブ。
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新井くんも毎日いたよなぁ~。
号泣しながらベースを弾くのりくん。
そしてハイウェイ61のライブ。ありがとう、さようならスタジオ分家_e0122770_732821.jpg

もう次の日も仕事だけど、終電とかって言葉自体が今はナンセンス。
こんなに田原さんを愛する仲間が歌って囲んで、最高だ。

お金なんてなくっても、こうやって音楽を一生懸命やっている姿って本当にキラキラしてる。あー、やっぱり音楽ってなんて素晴らしいんだろう。


絶対泣かないだろうと思っていた田原さんが涙を拭いながらPAをする。

そんな姿がたぶん一生忘れないくらいに目に焼き付きました。

全てのものは永遠には続かないんだな。

歌っているみんなの姿、踊っているみんなの姿を見ながら、この分家で出会い、田原さんとしゃべっていたあの日々が走馬灯のように駆け巡る。

寂しい。寂しすぎるぞ。近年、こんなに寂しいと思ったことはないぞ。

翌日、二日酔いで使い物にならない私でしたが(苦笑)。
最後、7日の日に本当に最後の電話をしました。

「はい、スタジオ分家でーす。」っていつものあのトーンの田原さんの声。
何百回と聞いてきたこの声もこれが最後だ。
いつも田原さんがいたこのブース。ここでずっとおしゃべりをしてきたんだ。
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「よかったよ~、もう電話も明日で繋がらなくなるんだ。堀井くんいるよ、変わろうか~。」とハイウェイ61のボーカルのホーリーさんに電話を変わり(あー、この感じも最後か。)ファイナルの時の話をしたりして、最後に田原さんにまた変わってお礼を言いました。

ありがとう、分家。
ありがとう、田原さん。
ありがとう!!!
本当に長い間お疲れ様でした!!!

本当にありがとうございました!!!
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# by kusanohiromi | 2016-07-09 07:12 | ライブ・音楽  

1月はいって2月は逃げましたね

明けましておめでとうございます…と言ったら怒られるであろう3月突入です。

blogもすっかりご無沙汰してしまっており、日々目まぐるしく起こる、あんなことやこんなこと、ひとつもご報告できずにおります。

去年の1月から勉強を始め、仕事復帰と子育てを両立しながらインテリアコーディネーターに一発合格しました!

…って、何になりたいねん!って感じですよね(^-^;
聞こえますよ聞こえます、その軽快なツッコミ!

やー、「育休は悪」という会社で育休を取得させてもらったんだもの。
気合いを見せておかないと…というか実のところ人が「絶対無理!」というものをやりたいだけ(笑)。

自分の限界を作るのは自分。
限界の壁を取っ払ってやりきりました!

しかしながら、毎日の生活はと言うと…。

子どもを保育園に連れてって、仕事して、保育園に迎えに行って、ご飯作って食べさせて、洗濯してお風呂に入れて寝かし付けて…はい、しゅうりょーーーーう!

と自分の時間が皆無なのであります。
息子の前でblog更新なんてもってのほか。
当然ピアノも邪魔されまくり15分弾けたら上出来。

目下の目標はリビングにピアノを置くことです。

そんな、私ですがいつの日かいつの日か。

野望はいっぱい渦巻いているのです。

ふふふ。では、また。

# by kusanohiromi | 2015-03-09 09:03  

初夢

夢の話を書いたので、夢つながりということで、今年の初夢をまだ覚えてるので書こうかな。

もう9月やけど(笑)。

私の夢、とにかくリアルでへんてこだけど、みんなもそうなのかな?

さて、初夢。


私は子どもだった。
なぜか政府が「日本中のこどもを取っ捕まえて根絶やしにしろ」という命令を出した。

そこらじゅうで子どもが捕らえられ連れていかれる。

そして大人たちは「まだどこかに子どもはいないか?」と一軒一軒土足で踏み込み血眼になって子どもを探していた。

唯一隠れられる場所。

それは、ゲイやオカマたちが住むエリア2丁目スラム街だ。

国の決まりで、ゲイやオカマたちはとても神聖なものなのでそのエリアには絶対に踏み込んではならないことになっていた。
例え犯罪者が逃げ込んだとしても。
そのエリアでは逮捕だってできないのだ。

私はスラム街に身を潜めた。

ここなら安全だ。

…ただしその安全は、「ゲイやオカマが犯罪を犯さない限り」であった。

誰かがその法律を破ってしまったらしい。

遂に、スラム街は強制撤去されることとなり、まだ人々が生活しているというのに、ショベルカーなどの重機が建物を壊し始めた。

「子どもだー!子どもがいたぞー!」


いけないっ!見つかった!

私は必死で逃げた。

パルクールのようにビルからビルへ飛び移り逃げた。

警察や大人たちが追いかけてくる。

どこへ逃げよう…。

もうこうなったらあそこしかない。




ペド。



ペド(幼児性愛者)である。


覚悟を決めてペドの人が集まる建物の扉をノックするのであった。



……………



ここで夢が終わる。

まあだいたいこういうおかしな夢なんだけど、我ながら私はどこか変なんじゃないかと思える夢のオンパレードですよ(^-^;

恐らく、人身売買についての本など(真面目に)読んでる影響かもしれません。

これが初夢の今年ってどうなんだ(笑)。
まぁ今年も残りわずか3ヶ月ちょっとですが015.gif

# by kusanohiromi | 2014-09-21 14:10  

悲しい夢

あー。
なんかめっちゃ悲しい夢みたー。

私、けっこう不眠気味なので毎日夢はほんとにたくさん、多いと10本、だいたい3本はみるんだけど今日みた夢は覚えているものでも5本。

最後にみた夢が悲しかったー。

友人15人くらいで久しぶりに集まって飲んでいて、いい感じの時間になってきたところに一人が「ねぇ、今日誕生日じゃなかった?」と言ってきた。

ん?そうだ!今日は12月21日だ!ほんとだ誕生日だ!

「ほんとだ!自分でも忘れてた!旦那にも今朝何にも言われなかったのに、よく覚えてたね!」

すると「ごめんね、私たち何にも用意してなかったからこれ、ロウソクの火フーして。」
と、お店のメニューが最後に1品出てきた。


小さくて丸いケーキみたいなのに1本だけロウソクが立っていた。

友人がそれを差し出す時に、不安定なロウソクは丸いケーキみたいなものの上で倒れて火が消えた。

それでも「はい、フーってして。」と友人。
全員が「はやくフーして!」とこっちに注目。

私は笑いながら「え?つけなおしはなし?このまま?」と戸惑いながらも既に火の消えたロウソクに形だけフーッとした。

その瞬間みんなが「おめでとーーー!!!」と拍手をしてくれて、変なの、と思いながら「ありがとう。」と言うとみんな次々に立ち上がって荷物を手に取り「よし。じゃ、行こっか。」とバラけはじめた。

え?これ食べるまでいないの?

そう思っていると「それちゃんと食べてね。」と一人から言われる。
そうだよな、せっかく誕生日にって1品注文してくれたんだし…。

で、食べようと思ったらその丸いケーキみたいなもの。
もずくとこんぶでできた惣菜だった。
甘くない。

「ケーキちゃうやん。」と心の中で一人つっこむ。

でも、このお店スイーツがなかったから一番スイーツっぽいものを選んでくれたのかも。

一人そのもずくをフォークでつついて食べていたら店員さんが皿を下げにきた。

そこで私はしらじらしく「このお店ってデザートメニューありますか?」と訊いてみた。

すると片手で皿を下げながら忙しそうな店員が勢いよく「ありますよーっ!」っとデザートメニューを差し出してくれた。

そこにはみんなでつっつけそうなジャンボパフェとか色々載っていた。

「あるやん…。」

……………



あー、寂しかった(笑)!
なんなんこの夢ーーーーー!!!!!
なんかリアルやし起きてからめっちゃ寂しい気持ちが残ってるんですけどぉーーーーーー!

ただの夢ですが(^_^)-c<^_^;)

みなさんは、どんな夢を見ましたか?

# by kusanohiromi | 2014-09-21 07:10