ありがとう、さようならスタジオ分家
2016年 07月 09日
すっかりご無沙汰しております。
1年5ヶ月ぶりのブログ更新です。覚えていらっしゃいますでしょうか(汗)。
クサノヒロミです(笑)。
フルタイムの仕事と子育てで、すっかり自分の時間というものがない日々を送っております。
あんな事やこんな事、ブログに書きたい大事件など色々とありましたがゆっくり一人でPCに向かう時間のない生活・・・。
そんな中、今回朝5時に起きてまでブログを更新させるに至った大きな出来事があるのです。
1年5ヶ月ぶりに私をPCに向かわせた大きな出来事とは・・・。
吉祥寺スタジオ分家、閉店。
「第二の家」と勝手に言い続けて来た吉祥寺の老舗スタジオ「分家」。
吉祥寺に住んでいた7年間、本当に私の居場所は「家にいなけりゃ分家にいる。」という状態でした。吉祥寺から多摩市に引越して3年、出産して3年で最後はほとんど来れなくなっちゃったんだけど、その昔は本当に分家に入り浸っておりました。
どれだけいたか、それを表すのに店長の田原さんに言われるのは、
「個人練習でポイントカードを全部貯めたのはスタジオ始まって(32年)クサノさんと赤石(?)くんだけだよ。」と。
このポイントカード、500円で1ポイント。バンドマン向けに出来ているので一度に10ポイント押すような人たちが有効期限内に貯められるように出来ている。
それを毎日1時間、2時間せっせと通って全部貯めたのです。
それだけ分家に通っていたのですね~。
しかも、練習のためだけに分家に行っていた訳ではないのです。
このスタジオ分家。
どのような場所かと言いますと。
吉祥寺の歴史ある老舗スタジオで、本当に多くのミュージシャンに愛されてきた場所なのです。
数々の有名ミュージシャン、ロックスター、皆さんの知っているところだと斉藤和義さんとかレヨナさんとかも使っていましたし、そうだTSUNTAさんも使ってたよね~。
時々練習一緒になって「ひろっぴぃ~!」「ツンタさーん!」としゃべったなぁ~。
てか私がTSUNTAさんに分家を紹介したんだった!
とにかく30数年間、本当にたくさんのミュージシャンを輩出してきました。
あの地下の、薄暗くて、汚い(失礼)場所が、どうして30年以上もみんなにこれだけ愛され続けてきたのか。
他に、キレイで新しくて、設備が最新のスタジオは、吉祥寺にいくらでも後から出来たしたっくさんあるのに、なぜこれだけ人が吸い込まれて行ったのか。
それは、それは、それは。
店長の田原さんという人の人柄があったからなのです。
あーーーー。涙出てきたぁぁぁぁーーーー!
私が14年前音楽をやりに上京してきたとき。
安くてグランドピアノを弾けるスタジオどっかにないかな、と思っていたら親友のミュージシャン児玉マリが分家を紹介してくれた。
マリに連れられて汚い薄暗い地下に下りていくと、ボロボロのドアがあってスタジオがあった。
そこに主のように田原さんがいた。
その日から、私は分家に通い続けた。
それは練習はもちろんだけど、練習だけではない時間がそこに流れていた。
他愛もない田原さんとのおしゃべりタイムだ。
この店長の田原さんという人。
なんだろ、歯に衣着せぬ物言いなんだけど決して毒ではない、、、人の意見というより時々神様の意見なんではなかろうか?と思うほど客観的で俯瞰でものを見れる人なんです。
フラットでニュートラルで、偏りがなく、飾りもなく、大げさでもなく、特別見方するわけでもなく絶対に敵でもなく。
そんな田原さんのトークマジックに、気付けばみんなが魅了されていて、スタジオに行けば必ず誰かがいてしゃべっている・・・。
そんなスタジオだったのです。
「おはようございまーす!あ、〇〇くん。」
で、2時間練習して出るとまだいる〇〇くん。
今度は自分が田原さんと喋りだし、次のミュージシャンがスタジオに入る。
次の人が出てきて「あ、もう2時間もしゃべっちゃったね。」
そんな場所だったのです。
そこにいつもいたメンバー。行けば必ず会えたメンバー。
仲良くさせてもらっていたバンド、ハイウェイ61とか、新井くんとか、マチくんりょうくんのりくん・・・。
他にも名前は分からないけど行けばよくいた人、いるなぁ~。
スタジオが取れなくて練習できない日でも、ふらっと地下に下りていって「田原さ~ん。」としゃべり始める。
私は親にだって言えない、言ったことのない話、田原さんには何でもした。
親どころか人に言えないあんなことやこんなこと、本当に神様にお話するように何でもお話したのです。懺悔室かよ(笑)ってほど。
迷った時はとにかく田原さんの声を聞きに行こう。
落ち込んだ時は田原さんのところに話を聞きに行こう。
めっちゃ嬉しいことがあったから田原さんに報告に行こう。
とにかくなんでもかんでも田原さん、田原さん、だったのです。
本当に。
そんなスタジオ分家が閉店し、田原さんは実家へ帰ることになったのですが、最後のライブが行われました。
2016年7月2日、3日分家ファイナル。
たまたま2日が休みだったので、お昼に花束を持って息子を連れて顔を出しました。
Bスタのドラムセットを運び出したばっかりの黒い埃だらけの汚い床の上を敢えてハイハイして動き回る3歳の息子をじーーぃっと見つめた田原さんは「ほー、やっぱり男の子ってバカなんだなぁ。」と一言。
(爆)!!!
コレコレ!田原さん!!!ほんと人の子とかおかまいなし!
そういうところが大好きなんだよ!
たくさん弾いたAスタのグランドピアノ。
このピアノで何百時間練習しただろう・・・。
レコーディングもしたなぁ。
そしていよいよ本当にファイナルの3日。
仕事終わりに駆けつけた私に田原さんが「クサノヒロミさんに2曲歌ってもらいます~!」といきなりみなに紹介。
もうライブ、2年3ヵ月前に一度復帰ライブをしたけど、その前も1年やってないから3年ぐらいまともにライブやってないんだよな。
人前で歌うのもピアノ弾くのもかなり久しぶりだけど、田原さんが最後とあれば歌うよ!
弾くよ!
こんなこともあろうかと、歌詞ノートだけは持ってきといてよかったよ!
1曲は絶対にバラード歌ってというリクエストがあったので
「引力」そして田原さんを送り出す歌「ステップラタタ」。
この歌詞、ぴったりだー。
「何かをやめるのはとても勇気がいることです。今までも十分待ったから、最後に決めるのは自分。
居心地のいい場所から去るのはとても力がいることです。人は自分を変えてくれはしないから 変わりたいなら自分で変わる。」
って。本当に居心地よかったなぁ。
田原さん、勇気いっただろうなぁ。
とってもいい感じで歌わせてもらって盛り上がってイエェーイって2曲歌い終わったところで田原さん。
「もう1曲歌って!」って。ええっ(笑)。今すっごくいい雰囲気やったやん。
ここで1曲って何歌えばいいん(笑)。こういうところがほんと、田原さんなんだよな~。
「泣きながら歌ってよ~。」とか言われて、涙マジで引っ込んだわ(笑)。
歌う前まで号泣してたけどね。
ライブはどんどん続きます。
ハイウェイ61のドラムだった勝さん(個人練習ではダントツ遭遇率が高かったなぁ~。私もよく練習してたけど、勝さんもほんとよくスタジオに入ってたなぁ~。)のバンド『マントル』。
インストなんだけどめちゃくちゃかっこよかった!!!
みんなが椅子を片付け始めたから、最初座ってた私は「そんな感じ?」とか言ってたけど気付いたらめちゃめちゃ踊ってたし(笑)。
そしてPJさん。
いきなりMCで「俺が一番の分家loverだ」と言い張るので「いやいや私も負けてないし。」と思ったらPJさん。
なんと13歳から現在の47歳まで、田原さんが店長になる前のアルバイト時代から分家を利用しているそうで!!!
恐れ入りましたぁ~~~!
13歳だったPJさんがレゲエの世界に入って、メジャーデビューして、その後も今までずっと分家を使ってきた話。
じーんとすると共に、長い分家の歴史を感じました。
ああ、もう本当になくなっちゃうんだな。
吉祥寺に来たときとりあえず寄ってしゃべる場所がなくなっちゃうんだな。
こんな場所、もう他にないよー。
新井くんのライブ。 新井くんも毎日いたよなぁ~。
号泣しながらベースを弾くのりくん。
そしてハイウェイ61のライブ。
もう次の日も仕事だけど、終電とかって言葉自体が今はナンセンス。
こんなに田原さんを愛する仲間が歌って囲んで、最高だ。
お金なんてなくっても、こうやって音楽を一生懸命やっている姿って本当にキラキラしてる。あー、やっぱり音楽ってなんて素晴らしいんだろう。
絶対泣かないだろうと思っていた田原さんが涙を拭いながらPAをする。
そんな姿がたぶん一生忘れないくらいに目に焼き付きました。
全てのものは永遠には続かないんだな。
歌っているみんなの姿、踊っているみんなの姿を見ながら、この分家で出会い、田原さんとしゃべっていたあの日々が走馬灯のように駆け巡る。
寂しい。寂しすぎるぞ。近年、こんなに寂しいと思ったことはないぞ。
翌日、二日酔いで使い物にならない私でしたが(苦笑)。
最後、7日の日に本当に最後の電話をしました。
「はい、スタジオ分家でーす。」っていつものあのトーンの田原さんの声。
何百回と聞いてきたこの声もこれが最後だ。
いつも田原さんがいたこのブース。ここでずっとおしゃべりをしてきたんだ。
「よかったよ~、もう電話も明日で繋がらなくなるんだ。堀井くんいるよ、変わろうか~。」とハイウェイ61のボーカルのホーリーさんに電話を変わり(あー、この感じも最後か。)ファイナルの時の話をしたりして、最後に田原さんにまた変わってお礼を言いました。
ありがとう、分家。
ありがとう、田原さん。
ありがとう!!!
本当に長い間お疲れ様でした!!!
本当にありがとうございました!!!
1年5ヶ月ぶりのブログ更新です。覚えていらっしゃいますでしょうか(汗)。
クサノヒロミです(笑)。
フルタイムの仕事と子育てで、すっかり自分の時間というものがない日々を送っております。
あんな事やこんな事、ブログに書きたい大事件など色々とありましたがゆっくり一人でPCに向かう時間のない生活・・・。
そんな中、今回朝5時に起きてまでブログを更新させるに至った大きな出来事があるのです。
1年5ヶ月ぶりに私をPCに向かわせた大きな出来事とは・・・。
吉祥寺スタジオ分家、閉店。
「第二の家」と勝手に言い続けて来た吉祥寺の老舗スタジオ「分家」。
吉祥寺に住んでいた7年間、本当に私の居場所は「家にいなけりゃ分家にいる。」という状態でした。吉祥寺から多摩市に引越して3年、出産して3年で最後はほとんど来れなくなっちゃったんだけど、その昔は本当に分家に入り浸っておりました。
どれだけいたか、それを表すのに店長の田原さんに言われるのは、
「個人練習でポイントカードを全部貯めたのはスタジオ始まって(32年)クサノさんと赤石(?)くんだけだよ。」と。
このポイントカード、500円で1ポイント。バンドマン向けに出来ているので一度に10ポイント押すような人たちが有効期限内に貯められるように出来ている。
それを毎日1時間、2時間せっせと通って全部貯めたのです。
それだけ分家に通っていたのですね~。
しかも、練習のためだけに分家に行っていた訳ではないのです。
このスタジオ分家。
どのような場所かと言いますと。
吉祥寺の歴史ある老舗スタジオで、本当に多くのミュージシャンに愛されてきた場所なのです。
数々の有名ミュージシャン、ロックスター、皆さんの知っているところだと斉藤和義さんとかレヨナさんとかも使っていましたし、そうだTSUNTAさんも使ってたよね~。
時々練習一緒になって「ひろっぴぃ~!」「ツンタさーん!」としゃべったなぁ~。
てか私がTSUNTAさんに分家を紹介したんだった!
とにかく30数年間、本当にたくさんのミュージシャンを輩出してきました。
あの地下の、薄暗くて、汚い(失礼)場所が、どうして30年以上もみんなにこれだけ愛され続けてきたのか。
他に、キレイで新しくて、設備が最新のスタジオは、吉祥寺にいくらでも後から出来たしたっくさんあるのに、なぜこれだけ人が吸い込まれて行ったのか。
それは、それは、それは。
店長の田原さんという人の人柄があったからなのです。
あーーーー。涙出てきたぁぁぁぁーーーー!
私が14年前音楽をやりに上京してきたとき。
安くてグランドピアノを弾けるスタジオどっかにないかな、と思っていたら親友のミュージシャン児玉マリが分家を紹介してくれた。
マリに連れられて汚い薄暗い地下に下りていくと、ボロボロのドアがあってスタジオがあった。
そこに主のように田原さんがいた。
その日から、私は分家に通い続けた。
それは練習はもちろんだけど、練習だけではない時間がそこに流れていた。
他愛もない田原さんとのおしゃべりタイムだ。
この店長の田原さんという人。
なんだろ、歯に衣着せぬ物言いなんだけど決して毒ではない、、、人の意見というより時々神様の意見なんではなかろうか?と思うほど客観的で俯瞰でものを見れる人なんです。
フラットでニュートラルで、偏りがなく、飾りもなく、大げさでもなく、特別見方するわけでもなく絶対に敵でもなく。
そんな田原さんのトークマジックに、気付けばみんなが魅了されていて、スタジオに行けば必ず誰かがいてしゃべっている・・・。
そんなスタジオだったのです。
「おはようございまーす!あ、〇〇くん。」
で、2時間練習して出るとまだいる〇〇くん。
今度は自分が田原さんと喋りだし、次のミュージシャンがスタジオに入る。
次の人が出てきて「あ、もう2時間もしゃべっちゃったね。」
そんな場所だったのです。
そこにいつもいたメンバー。行けば必ず会えたメンバー。
仲良くさせてもらっていたバンド、ハイウェイ61とか、新井くんとか、マチくんりょうくんのりくん・・・。
他にも名前は分からないけど行けばよくいた人、いるなぁ~。
スタジオが取れなくて練習できない日でも、ふらっと地下に下りていって「田原さ~ん。」としゃべり始める。
私は親にだって言えない、言ったことのない話、田原さんには何でもした。
親どころか人に言えないあんなことやこんなこと、本当に神様にお話するように何でもお話したのです。懺悔室かよ(笑)ってほど。
迷った時はとにかく田原さんの声を聞きに行こう。
落ち込んだ時は田原さんのところに話を聞きに行こう。
めっちゃ嬉しいことがあったから田原さんに報告に行こう。
とにかくなんでもかんでも田原さん、田原さん、だったのです。
本当に。
そんなスタジオ分家が閉店し、田原さんは実家へ帰ることになったのですが、最後のライブが行われました。
2016年7月2日、3日分家ファイナル。
たまたま2日が休みだったので、お昼に花束を持って息子を連れて顔を出しました。
Bスタのドラムセットを運び出したばっかりの黒い埃だらけの汚い床の上を敢えてハイハイして動き回る3歳の息子をじーーぃっと見つめた田原さんは「ほー、やっぱり男の子ってバカなんだなぁ。」と一言。
(爆)!!!
コレコレ!田原さん!!!ほんと人の子とかおかまいなし!
そういうところが大好きなんだよ!
たくさん弾いたAスタのグランドピアノ。
このピアノで何百時間練習しただろう・・・。
レコーディングもしたなぁ。
そしていよいよ本当にファイナルの3日。
仕事終わりに駆けつけた私に田原さんが「クサノヒロミさんに2曲歌ってもらいます~!」といきなりみなに紹介。
もうライブ、2年3ヵ月前に一度復帰ライブをしたけど、その前も1年やってないから3年ぐらいまともにライブやってないんだよな。
人前で歌うのもピアノ弾くのもかなり久しぶりだけど、田原さんが最後とあれば歌うよ!
弾くよ!
こんなこともあろうかと、歌詞ノートだけは持ってきといてよかったよ!
1曲は絶対にバラード歌ってというリクエストがあったので
「引力」そして田原さんを送り出す歌「ステップラタタ」。
この歌詞、ぴったりだー。
「何かをやめるのはとても勇気がいることです。今までも十分待ったから、最後に決めるのは自分。
居心地のいい場所から去るのはとても力がいることです。人は自分を変えてくれはしないから 変わりたいなら自分で変わる。」
って。本当に居心地よかったなぁ。
田原さん、勇気いっただろうなぁ。
とってもいい感じで歌わせてもらって盛り上がってイエェーイって2曲歌い終わったところで田原さん。
「もう1曲歌って!」って。ええっ(笑)。今すっごくいい雰囲気やったやん。
ここで1曲って何歌えばいいん(笑)。こういうところがほんと、田原さんなんだよな~。
「泣きながら歌ってよ~。」とか言われて、涙マジで引っ込んだわ(笑)。
歌う前まで号泣してたけどね。
ライブはどんどん続きます。
ハイウェイ61のドラムだった勝さん(個人練習ではダントツ遭遇率が高かったなぁ~。私もよく練習してたけど、勝さんもほんとよくスタジオに入ってたなぁ~。)のバンド『マントル』。
インストなんだけどめちゃくちゃかっこよかった!!!
みんなが椅子を片付け始めたから、最初座ってた私は「そんな感じ?」とか言ってたけど気付いたらめちゃめちゃ踊ってたし(笑)。
そしてPJさん。
いきなりMCで「俺が一番の分家loverだ」と言い張るので「いやいや私も負けてないし。」と思ったらPJさん。
なんと13歳から現在の47歳まで、田原さんが店長になる前のアルバイト時代から分家を利用しているそうで!!!
恐れ入りましたぁ~~~!
13歳だったPJさんがレゲエの世界に入って、メジャーデビューして、その後も今までずっと分家を使ってきた話。
じーんとすると共に、長い分家の歴史を感じました。
ああ、もう本当になくなっちゃうんだな。
吉祥寺に来たときとりあえず寄ってしゃべる場所がなくなっちゃうんだな。
こんな場所、もう他にないよー。
新井くんのライブ。
号泣しながらベースを弾くのりくん。
そしてハイウェイ61のライブ。
もう次の日も仕事だけど、終電とかって言葉自体が今はナンセンス。
こんなに田原さんを愛する仲間が歌って囲んで、最高だ。
お金なんてなくっても、こうやって音楽を一生懸命やっている姿って本当にキラキラしてる。あー、やっぱり音楽ってなんて素晴らしいんだろう。
絶対泣かないだろうと思っていた田原さんが涙を拭いながらPAをする。
そんな姿がたぶん一生忘れないくらいに目に焼き付きました。
全てのものは永遠には続かないんだな。
歌っているみんなの姿、踊っているみんなの姿を見ながら、この分家で出会い、田原さんとしゃべっていたあの日々が走馬灯のように駆け巡る。
寂しい。寂しすぎるぞ。近年、こんなに寂しいと思ったことはないぞ。
翌日、二日酔いで使い物にならない私でしたが(苦笑)。
最後、7日の日に本当に最後の電話をしました。
「はい、スタジオ分家でーす。」っていつものあのトーンの田原さんの声。
何百回と聞いてきたこの声もこれが最後だ。
いつも田原さんがいたこのブース。ここでずっとおしゃべりをしてきたんだ。
「よかったよ~、もう電話も明日で繋がらなくなるんだ。堀井くんいるよ、変わろうか~。」とハイウェイ61のボーカルのホーリーさんに電話を変わり(あー、この感じも最後か。)ファイナルの時の話をしたりして、最後に田原さんにまた変わってお礼を言いました。
ありがとう、分家。
ありがとう、田原さん。
ありがとう!!!
本当に長い間お疲れ様でした!!!
本当にありがとうございました!!!
by kusanohiromi | 2016-07-09 07:12 | ライブ・音楽