悲しいテニスの思い出
2013年 11月 07日
私は小学3年生のときに、硬式テニスを始めました。
ずっと憧れだったテニス。
お父さんとラケットを選びに行き、買ってもらったときどれだけ嬉しかったことか。
毎週土曜日の午後。
テニススクールはコーチがやってきて、小学校のグランドを借りて行われた。
私は一日も休まずに練習に参加した。
大真面目でサボることを知らなかった私は、誰よりも球拾いも頑張り、誰よりも声出しをし、グランド整備をした。
台風の日ですら「ひろみちゃん、今日は台風だからテニスはないわよ。」という母親の静止も聞かずに「でももしあったら休むことになっちゃうから。」と出掛けていった。
土砂降りの雨の中、藤棚の下で一人、みんなが来るのを待った。
当然誰も来ず、もちろんテニスはなかったのだが。
さて、これだけ熱心に取り組んだテニスであったが、その成果はと言うと・・・。
これがスクールで一番の下手っぴだったのだ。
コーチが「ラケットを前に投げるように」と言うと、手が滑って本当にラケットを投げてしまいみんな大笑い。
目にボールが当たって漫画みたいに青くなり・・・。
ネットの片付け中コーチの笛の音でみなが一斉にポールから手を離し私の足に落下・・・。
サーブの時、地面にポンポンと付いた球が靴のつま先に当たってあさっての方向に飛んでいく・・・。
一人でマンションの壁で練習した壁打ちの球まで顔で受ける始末。
兄に、「お前はセンスがない」と言われ続けた。
「センスがない」って言葉は、どれだけ練習しても上手くなる可能性がないってこと、練習しても意味がないってことだとなんとなく分かっていた。
すごく嫌な言葉だなぁ~と思った。絶望的な言葉だ。
それでも私は一日も休まなかった。
そうして一年が過ぎたある日、コーチが言った。
「皆勤賞の子がいます。クサノヒロミちゃん。みんなで拍手をしましょう。」
それは、誰よりも練習に来ているのに一番下手、つまりセンスがないことの証明でしかなかった。
その拍手が私には、「一番練習しているのに一番下手なんだよ。」って笑われているかのように聞こえた。
そこしか褒めるところがないからだ。
どうして大人ってこんなに無神経なんだろう。
体が小さく縮こまる感じがした。
さらに副コーチが付け加えた。
「来年からは皆勤賞に何か用意せなあかんな。アハハハハ。」
どうしてそれが今年ではないんだろう?
その日を境に、私はだんだんテニスに行かなくなった。
相変わらずお母さんにはお弁当を作ってもらってテニスラケットを持って学校に行くけれど、練習には行かず学校でお弁当を食べて黒板に落書きをして遊んで帰った。
ある日近所のスーパーでテニスコーチと母がバッタリ遭遇。
「ひろみちゃん最近どうしたんですか?全然練習に来ないけど・・・。」
そのコーチの言葉でバレた。
父に「テニスラケットはどうした?」と聞かれハッとした。
いつの間にかどこかでなくしていた。
けれど、いつどこでなくしたかの記憶すらなかった。
それくらい、私にとってテニスは消し去りたい記憶になっていたようだ。
これが、私の悲しいテニスの思い出でした(笑)。
ずっと憧れだったテニス。
お父さんとラケットを選びに行き、買ってもらったときどれだけ嬉しかったことか。
毎週土曜日の午後。
テニススクールはコーチがやってきて、小学校のグランドを借りて行われた。
私は一日も休まずに練習に参加した。
大真面目でサボることを知らなかった私は、誰よりも球拾いも頑張り、誰よりも声出しをし、グランド整備をした。
台風の日ですら「ひろみちゃん、今日は台風だからテニスはないわよ。」という母親の静止も聞かずに「でももしあったら休むことになっちゃうから。」と出掛けていった。
土砂降りの雨の中、藤棚の下で一人、みんなが来るのを待った。
当然誰も来ず、もちろんテニスはなかったのだが。
さて、これだけ熱心に取り組んだテニスであったが、その成果はと言うと・・・。
これがスクールで一番の下手っぴだったのだ。
コーチが「ラケットを前に投げるように」と言うと、手が滑って本当にラケットを投げてしまいみんな大笑い。
目にボールが当たって漫画みたいに青くなり・・・。
ネットの片付け中コーチの笛の音でみなが一斉にポールから手を離し私の足に落下・・・。
サーブの時、地面にポンポンと付いた球が靴のつま先に当たってあさっての方向に飛んでいく・・・。
一人でマンションの壁で練習した壁打ちの球まで顔で受ける始末。
兄に、「お前はセンスがない」と言われ続けた。
「センスがない」って言葉は、どれだけ練習しても上手くなる可能性がないってこと、練習しても意味がないってことだとなんとなく分かっていた。
すごく嫌な言葉だなぁ~と思った。絶望的な言葉だ。
それでも私は一日も休まなかった。
そうして一年が過ぎたある日、コーチが言った。
「皆勤賞の子がいます。クサノヒロミちゃん。みんなで拍手をしましょう。」
それは、誰よりも練習に来ているのに一番下手、つまりセンスがないことの証明でしかなかった。
その拍手が私には、「一番練習しているのに一番下手なんだよ。」って笑われているかのように聞こえた。
そこしか褒めるところがないからだ。
どうして大人ってこんなに無神経なんだろう。
体が小さく縮こまる感じがした。
さらに副コーチが付け加えた。
「来年からは皆勤賞に何か用意せなあかんな。アハハハハ。」
どうしてそれが今年ではないんだろう?
その日を境に、私はだんだんテニスに行かなくなった。
相変わらずお母さんにはお弁当を作ってもらってテニスラケットを持って学校に行くけれど、練習には行かず学校でお弁当を食べて黒板に落書きをして遊んで帰った。
ある日近所のスーパーでテニスコーチと母がバッタリ遭遇。
「ひろみちゃん最近どうしたんですか?全然練習に来ないけど・・・。」
そのコーチの言葉でバレた。
父に「テニスラケットはどうした?」と聞かれハッとした。
いつの間にかどこかでなくしていた。
けれど、いつどこでなくしたかの記憶すらなかった。
それくらい、私にとってテニスは消し去りたい記憶になっていたようだ。
これが、私の悲しいテニスの思い出でした(笑)。
by kusanohiromi | 2013-11-07 00:10 | 趣味