出産日記~30時間と39分の果てに~
2013年 04月 01日
きっと忘れてしまうだろうから。あの痛みのことは忘れてしまうだろうから。
でも忘れたくないドラマ。忘れないためにここに書こう。
3/12(火)。新月でなおかつ大潮の晩。
「潮の満ち引きで今夜あたり陣痛くるだろうね~。」なんて話していたら案の定。
“おしるし”(卵膜が擦れておこる出血)があり、お腹の張りが強く押し寄せてくるようになった。
(あ、ちなみに予定日は3/17でした。)
いよいよだ。
赤ちゃんが出てこようとしている。
私はリラックスしてその時を迎えようと、大好きなバードウォッチングの映画『ビッグ・ボーイズ』を観て余裕をぶっこいていた。
夜中2時過ぎにお腹の張りは10分間隔になり産院へ電話。
陣痛には違いないが4時まで様子をみましょうと言われ自宅待機。
しかし4時を待たずして陣痛は5~6分間隔に。
両親を起こし、これから始まる戦いに備え腹ごしらえをして産院へ向かった。
その頃にはもう僅かな車の振動さえ堪えるほどの痛みになっていた。
「旦那、間に合うかな?」
私は立会出産の予定だった東京にいる旦那が間に合うかを心配していた。
そんなの心配ご無用の長時間出産になるのだが・・・。
救急用の出入口から入りナースステーションに着くと看護師さんが待っていた。
やっと歩いている私を見てもう一人の看護師さんに向かって「もう少ししたら歩けなくなるから車椅子用意しといて~。」と言った。
(そうなんだ。
そんなに痛くなるんだ。)
まだマックスの痛みの想像がつかない。
まず分娩室へ入り子宮口の開きを確認。
私は超安産だった職場の先輩にもらった『絶対安産のコツ』というブックレットをお守りのように持ち歩き熟読していたので「ふふ~ん。陣痛が5~6分間隔ならもう4~5センチは開いてるやろな~。」なんて思っていた。
が、子宮口はたったの1.5センチしか開いてなかったのである!!!
え~~~っっ!
こんなに痛いのにまだ1.5センチという驚愕の事実にかなりガックリきてしまった。
ちなみに子宮口は10cmで全開大。
全開にならないと赤ちゃんの頭は出ない。
もうね、ほんとね、どんな情報もみんなの武勇伝もどれも当てはまらない。
出産は10人いたら10通り。同じようにはいかないものだということを痛感した。
分娩台を下ろされて“陣痛室”へ移動することに。
その時に助産師さんが「まだこれの何十倍の痛みがきますからね~。」と言った。
(な、なっ、何十倍っ!そっ、そりゃそうですよね~。なはは・・・。)
覚悟を決めた。
っと、覚悟を決めたのも束の間。
陣痛室へ向かう途中、隣の分娩室から断末魔の悲鳴というか泣き声というかもう聞くに耐えない叫び声が聴こえてきた。
人がこんなにも苦しんでいる声を初めて耳にした。
(えっ!あんなに苦しんだらあの人死んじゃうんじゃないの?)
素直に抱いた感想である。
恐怖・・・。
一人陣痛室で痛みと戦う。
ちなみに、男性の方はご存知ないかもしれないので簡単に説明すると、陣痛というのはずーっと痛いのではなく、60秒ほどしか痛みは続かない。
但し、陣痛と陣痛の間隔がどんどん短くなり痛みもどんどん増す。
10分間隔で20秒~30秒痛かったのが、最後には1分間隔で60秒間超絶痛い、という具合だ。
痛みが来るたび私はマッターホルン登頂を目指している気持ちで耐えた。
旦那が家を出たか、飛行機に間に合ったか、飛行機が到着したか・・・。
痛みと必死で戦いながら時計の数字がはやく進めと念じた。
看護師さんが旦那を連れて来てくれたときはホッとした。
結局朝になっても生まれなかった。
母は私達兄弟3人を分娩台に上がって10分とか、陣痛が始まって4時間で生むという超安産だったので、自分もてっきり“超スピード出産”だと思い込んでいた。
3/13の午前中に看護師さんが「促進剤を使いましょう」と説明にきた。
但し、「薬が効きすぎて子宮破裂の恐れがある」ということと、「赤ちゃんが重度障害を担う恐れがある」ということを了承しなければならなかった。
怖くなった私は「自然でいきます!」と断った。
だが、戦いは長かった。
食事が運ばれてきたけど激しい痛みでほとんど口にできず。
痛みがやってくるたびに、痛みを逃そうとものすごい力でそのへんにあるテーブルなどをぎゅぅぅぅぅっと掴むのでだんだん筋肉が強ばってくる。
気付くと旦那が私のベッドで寝ていた(笑)!
おいおいっ!
陣痛は一旦3分間隔まで縮まったのだが、その後また5分間隔に戻り、8分間隔にまでなってしまった。そしてまた5分間隔に。
ご、拷問だぁ~!!!!
「降参!」「ストップ!」「タイム!」「たんま!」と叫んでみても、絶対に止めることができない。
生まれるまでずっと痛み続けるのである!なんと言うことっ!
拷問は(笑)夜になっても続いた。
排泄や、歩いたりすると陣痛が促進されるので水分を摂ってトイレに立つのだがこれがもう辛い!立ち上がった瞬間陣痛がツーンっと一気に強まる。
動けない。ものすごい痛み。でもこれでお産が進むなら・・・。
しかしこのことが私をどんどん恐怖に陥れた。
昼過ぎに正面の陣痛室から分娩室へ移動した妊婦さんがいたのだが、トイレへ行くたびに分娩室からの辛い辛い悲鳴が、5時間でも7時間でも続いていることを知ってしまったからである。
・・・まぁ結果、私も分娩台に上がってから7時間かかるんだけどね。
(分娩室は痛みがマックスでいくところではないのか?
マックスの痛みがそんなに続くの?今でもこんなに痛いのに?耐えられる?)
私は反省した。
新曲『ようこそ世界へ』の歌詞で「勇気出してこっちおいで」と書いたのだが、勇気がないのは自分やんか!
赤ちゃんは勇気を出してこようとしているのに、私は陣痛がこれ以上進むことにものすごく恐怖を抱いている。
このまま遠のいてもう一回平穏気ままな妊婦生活に戻りたい(笑)。←絶対不可能である。
ああ恥ずかしい。
陣痛が5分間隔のまま、19時間が経過した。
(ビビっていてはダメだ。陣痛を進めよう。
そうだ、新生児室に赤ちゃんを見に行こう。)
立ち上がるのもやっとだけど、旦那に全力でしがみついて新生児室までヨロヨロと向かった。
そこには生まれたての赤ちゃんがホワホワと並んでいた。
その赤ちゃんの姿を見た瞬間。忘れもしない。
「みんなこんな大変な思いをして、その果てに生まれてきたんだ!」と思うと、涙がドバーっと溢れ出した。
そしてそれとともにふと、私はちゃんとこんな赤ちゃんを生めるんだろうか?と不安になった。
もしかしてこんなに長時間生まれないってことは、赤ちゃんが死んじゃうかもしれない。
いや、私の方が力尽きて死んでしまうかもしれない。
感極まったのと不安とでごっちゃになり、新生児室の前で人目もはばからず嗚咽して泣いてしまった。
ほんと、「勇気出してこっちおいで」だなんて、お母さん(私)ってアホやな~、愚かやなぁ~っ、とお腹の赤ちゃんに自分の傲慢さを詫びた。
嗚咽して泣く私を、私よりずっと年下だろう助産師さんが抱きしめて摩ってくれた。
で、追い打ちをかけるように「あの~、付き添いの方はもう面会時間終わりなのでごめんなさい。」(笑)!
追い出される旦那。消灯される部屋。
嗚咽しながら陣痛を耐え続けている嫁を置いて、名残惜しそうに旦那は帰っていった。
出産に間に合うかどうかなんて心配はご無用だった。逆に帰されてるやんか(苦笑)。
それからも私の戦いは続いた。
暗闇の中、テニスボールに座り(経験者は分かるよね。)耐えた。
痛みがくるたびに体に力が入るので、途中で痙攣を起こしてしまった。
ガタガタ震えてどうしようもなくなっているところへ助産師さんが駆け込んできて「過呼吸起こしてますね?」とまた摩ってくれた。
呼吸を合わせてくれて、やっと痙攣は治まったけど、ああなんて辛いんだ!
陣痛が楽しみなんてつぶやいていた私、ほんまアホやぁ~!
しかしながら、陣痛の合間に見るTwitterでのみんなからの励ましに、心から勇気付けられた!!!
返信こそ出来なかったけど、Twitterはずっとチェックしていた。
Twitterを始めてから、こんなにやって良かったと思ったのは初めてだ。
どれだけ心強かったことか!
さて。
陣痛開始から24時間経ったくらいで、やっと助産師さんが二度目の子宮口の確認に来てくれた。
分娩室へ移動し、確認したところ7センチ開大!
「このまま分娩室へいましょうね。」
この言葉がどれだけ嬉しかったことか!
光が見えた。ゴールのテープが見えた。マッターホルンの頂上が見えた。
私も赤ちゃんも死なないですむ!
大げさだけど(笑)本当にそんな気がした。
いよいよラストスパートなのね。
ここからの私は強かった。
例の「ソフロロジー分娩」を実践。
いや、それどころか呼吸でいきみ逃しをするどころか(ソフロロジーでは長く細く吐く息に集中)、私は早く子宮口が開いて欲しかったので“痛みを全部受け入れる”ことにした。
やってくる陣痛を、“完全なる自然呼吸”で受け流すことにしたのだ。
そして「赤ちゃん、あなたに任せます。この痛みで子宮口を開いて!」とお願いした。
さっきまで陣痛の度に力が入っていたのが嘘のよう。
呼び出された旦那が着いた。2度目の朝だ。
ところでこの“自然呼吸法”はものすごい集中力が必要。
だってものすごい痛みに襲われているので、身体が自己防衛で力が入るのが普通である。
そこを無音の自然呼吸でやり過ごすには、蚊の肛門に糸を通す程の集中力がいるのだ。(すごい表現やな、(笑)。)
この集中力があれば東大にでも入れたかもしれない。
というわけで、助産師さんが来て声をかけてきたり旦那が入ってきたりすると、集中力が途切れてたちまち体に力が入り呼吸も一気に乱れ辛くなるのである。
そこで旦那には申し訳ないけど、入室した瞬間。
「視界に入らないで。」と言った。
冷たく思うだろうけど、それほど辛かった。
旦那は「はい。」と言って、視界に入らないところで気配を消してくれた。
「水。」と言ったときだけ水をくれて助かった!ナイスアシスト!
助産師さんの「うまくいけば6時か7時には~。」という言葉に光を見出し私は時計を睨みつけて陣痛をやり過ごした。
助産師さんたちは私がうんもすんも言わず静かにしているので「上手ですよ~っ!とっても上手です!」と褒めちぎってくれた。
「さ、いきんでいいですよ~。」
これもまた神様の声に聞こえた。
(ああ!もういきんでいいんだ!ラストスパートだ!赤ちゃんに会うためのいきみだ!)
私は今までに出したこともない力を出した。
全身の力を振り絞った。
二日間痛みに耐え抜いて食事もまともにしていないのに、どこにこんな力が残っていたのだろう?
いや、これはもう宇宙のエネルギーを借りているのだ。
私の力を超えている。
先にも書いた、熟読していた『絶対安産のコツ』には、いきみはだいたい3回~10回くらいで生まれるとあったのに、私は何回いきんだか分からない。
2時間はいきみ続けた。30回いや40回、もっといきんだかも。
肛門が裏返って出てきて痔にならないように、看護師さんが押さえてくれている。
それだけ“いきみ”ってすごい力なんだ。
破水した。
嬉しかった。
いよいよだって勇気が出た。
陣痛の波がやってくるたびに、私は渾身の力を振り絞って赤ちゃんを出そうとした。
「髪の毛が見えてますよ~。」
色々イメージと違った。
助産師さんや先生がつきっきりで呼吸とか促してくれるのかと思ったら、出産ラッシュだったようでけっこう放ったらかしだった(笑)。
分娩台の上にはいるものの、まだセッティングしていない・・・。
ところが、クライマックスが近付いてくると助産師さんたちがサクサクと準備をし出した。
装備を身に付け、私もいよいよ分娩のポーズをとらされる。
今までは普通のベッドでいきんでいたのだが・・・。
最後、天井からウィーンとライトが出てきた。
「先生お願いします。」
やっと先生のお出ましである!もう来ないのかと思ったよ。
先生は会陰に麻酔をしてチョキンと切って「あと1回くらいいきんだら赤ちゃん出てきますよ。あ、3回くらいか。」と言った。
言うとおり3回目。
今までで一番激しい熱い痛みがイナズマみたいに身体を走った。
私は初めて「痛い・・・。」と声を出した。なんか破けた。
その瞬間。
「頭が出ましたーーーーっっっ!!!」と、先生と助産師さん。
熱い。痛すぎてすごく熱い。
そしてもういきまなくても「肩が出ましたよ~。はいもう片方の肩も出ました!」
ほんぎゃぁ~~~!
「生まれました~~~っっ!」
出た!出た!出た!やっと出たぁぁぁぁ~~~~!
マッターホルン登頂ですよーーーー!
やったーーーーーーー!!!!!
すごい達成感―――――――っっっ!!!
赤ちゃんは、へその緒を首に巻きつけていたのに元気に「ほんぎゃぁ~」と泣いた。
やっぱり赤ちゃんて泣くんだねぇ~。
朝9時18分。
分娩所要時間、30時間39分。
3018gの元気な男の子。
35年の人生で、一番頑張った。
一番しんどかった。
でも一番嬉しかった。
一番の達成感だった。
一番の喜びだった。
こんなに嬉しくて、心の底から幸せを感じたことは初めて。
忘れない、忘れたくない30時間。
で、例のソフロロジー分娩の結果ですが、30時間もかかったのに先生や助産師さんたちから「ソフロロジーのお手本DVD並みの出産だった!すごい!超安産!」と
褒めまくられた。
お手本DVDは本当に静かな出産で「これはエベレスト級なのでマネできないとは思いますが」って言われていたのに、私はそれに並ぶ静かなお産だった。
長時間が難産とは言わないらしい。
先生たちに言わせれば安産とのこと。へぇ~。安産とはとても思えなかったけど(笑)。
出産直後に、生まれたての息子を胸に乗せてもらってその温もりを感じた。
ぬめ~っと熱いくらい温かかった。
なんとも晴れ晴れした気持ち。
疲れているはずなのに興奮しておしゃべりが止まらない。
見上げた空は雲ひとつなく青く、飛行機が遠くに飛んでいるのが見えた。
眩しい。
ようこそ世界へ。
30時間と39分。
これも武勇伝の一つに、加えてもらえるだろうか。
読んでくださった方、どうもありがとうございました。
by kusanohiromi | 2013-04-01 17:48 | 家族