誰のための工事

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これ、本日のうちのすぐ近くの川の工事。
私は鳥が好きでいつも鳥を見ている。
鳥を見ていると、地球は人間だけのものじゃないって気付かされる。
テレビ番組や映画でも自然や動物を扱ったものはたくさんある。
それだけ、きっとみんなが好きなんだ。
本当は豊かな自然がどれだけ人間にとって欠かせないものなのか知っているはずなのだ。

だけど、普段の生活とは切り離されている。

以下、ここ1、2年のうちの近所の川の工事。
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なぜだか全ての工事が終わることはない。
ここが終わったと思ったらまた別のところ。
そこが終わったと思ったら今度はこっち。

川の水は濁り、鳥たちは餌が取れずさまよう。
工事している人はただ仕事を頑張っているに過ぎないけど、私は悲しい目で見つめてしまう。

看板には「河川緑化工事」とか、「崩壊した護岸の補強工事」。

緑化工事は川沿いをずーっと遊歩道にする工事。

川底を全部ブロックで固めて、土手だったところは遊歩道になり、ベンチをしつらえて芝生で整えて樹木を植える。

確かに見た目はキレイになった。

でも誰のための緑化?

そのままの緑の方が、鳥も虫も魚も居心地がよかったのに。
川底が自然のままの泥で、深さもデコボコだからこそ色んな種類の水草があって、虫が生息できて魚が生きられる。
そこに鳥がくる。

一定の深さに整えられた川にはカルガモしか生息しなくなる。

冬になるとカモたちが渡ってきて、留鳥のカルガモに加わって賑やかになるはずなのに、そこに多種多様なカモの姿はない。

餌がいないから居られないのだ。

川縁も、所々川面にせり出す枝や草があった。こういうところカワセミは好んでとまる。
それらもツルツルの遊歩道になってしまった。
一見美しく見える街並みも、実は生き物の寄り付かない殺風景なものになってしまっているのだ。

これは悲しく残念なことだ。

本日の崩壊した護岸の補強工事も、毎日通ってたけど護岸が崩壊したようには見えなかった。
私が見てきたのは、1年も2年もなんのためか河川に出入りするトラックやダンプカー。

ササゴイが好みそうな川辺の竹林も、水害防止のためにと年明けにゴッソリ取り除かれてしまった。

私は専門家ではないので「水害のために必要な工事です。市民の命を守るためなのです。」と言われれば何にも言えなくなってしまう。

しかし、本当に必要な工事なのだろうか?
本当にそれが最善の方法なのだろうか?
誰のためにやっているのだろうか?
と疑問が消えないのである。

文明は戻せない。
だけど、今の生活の中でもう少し動物や自然と共生する方法を真剣に考えられないだろうか。

動物たちは何もできない。

ここは、知能の高い人間が動物や自然に歩み寄るしかないと思うのだ。
人間しか自然を守れないというのに、目先の利益に気をとられて、一度失ったら二度と手に入れることのできない大切なものを失いかけているのではないだろうか。

企業はどうだろう。
利益を上げてなんぼの民間企業だから、利益を追求するのは当然だと思う。
けれど、人々の生活にもう少しゆとりをもたせてはくれないだろうか。

スマホの普及により、人々は空を見上げなくなった。
ヘッドフォンやイヤホンをして鳥の声に耳を傾けなくなった。
(スマホやipodを否定批難している訳ではありません。)

私は濁った川の水を見ると悲しくなる。
鳥に「ごめんね。」って心の中で謝りながら歩いている。

息子や孫の代の子どもたちにも、色んな色彩でバリエーション豊かに鳴くたくさんの鳥たちを見せてあげたい。

年々ここにも渡り鳥が減ってきた。

もちろん日本の環境だけの問題ではないが、生存率2割という過酷な渡りをしてくる鳥たちを、餌の豊富な自然で迎え入れてあげたい。

地元のバーダーたちも諦めたような悲しい溜め息をつきながら工事を見ている。
もうすぐまた多摩川の橋のかけ替え工事が始まる。

今一度問いたい。
その工事、本当に必要なのですか?
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by kusanohiromi | 2014-02-01 15:57  

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