鳥が教えてくれること
2012年 01月 19日
ここのところ忙殺されていて、鳥を見に行けていなかったのだけど、ライブ前家の前に出てみた。
家のベランダの前に、多摩川に繋がる大栗川というのが流れているのだけど、その川を覗くとたくさんの鳥達が思い思いに暮らしている。
たった10m。目と鼻の先でコバルトブルーに光り輝く宝石のようなカワセミが行ったり来たり水面スレスレに低空飛行。
そしてペリカン目のカワウが羽を広げる独特のポーズで羽を干している。
川辺にたわわに実ったブルーベリーによく似た木の実には、ムクドリとヒヨドリが群がっていた。
みんな美味しそうに必死で食べていた。
こんなところにこんな実がたくさんなっていることによく気づいたね。
ちなみに、駅前の木にムクドリの集団寝床があったんだけど11月くらいから見かけなくなった。
てっきり夏鳥で海を渡っていったのだと思ったら、どうやら寝床を変えたみたい。
ムクドリは留鳥だった。
その下には、コサギが魚を待っている。
その横にはアオサギもじっとしている。
そしてセグロセキレイは飽きもせずにつがいで追いかけっこ。カルガモはのんびり川底をかじっている。
たった、家から10m先での風景。
鳥達は私が見てようと見ていなくとも、毎日こうやって生きている。
ムクドリとヒヨドリを見ていて思った。
「冬」って、あらゆる植物が枯れてしまうのかと思っていた。
「冬」には花も咲かず、実も実らないと思っていた。
「冬」でも葉っぱをたくさんつける木があって、実がなる木があるんだ。
鳥達の命の木があるんだ。
そして私は森へ向かった。2ヶ月ぶり。
冬鳥の青い鳥ルリビタキを探しに。
「森」とは、うちから徒歩15分~20分くらいの「都立桜ヶ丘公園」。
かなり広く深い。
少し登るとシジュウカラとコガラの混群に出会った。
このカラ類たちはよく交じり合って混群を作る。
(現在『鳥はなぜ群れるのか』という行動生態学の本を読んでいます)
群れの割合から言うとシジュウカラが7割くらいを占めている感じがしたなぁ。
シジュウカラは「ツーピーツーピー」とさえずる。
この子たちはチョンチョン枝から枝によく移る。
眺めていると「ゲェー」とか「ギィー」とか声がして、「あ、コゲラだな?」と思ってキョロキョロ探すとはい、いました。
コゲラちゃん。キツツキですよ。
頭のフサフサした冠毛がかわいい♪
キツツキなので、木の枝ではなく幹に縦に止まるんです。
鳥ってそれぞれ動きとか、鳴き声とか、模様とか、特徴や習性があってとってもおもしろい。
なにより可愛い。
癒される。
あら?違う鳴き声がする。
双眼鏡を覗くとヤマガラちゃん。
春になると「ツツピーツツピーツツ」とゆったりさえずります。
冬の間はそんなゆったりした声でさえずっているのは聴いたことがないなぁ。
他にも色んな鳴き声が聴こえていたので、まだまだ色んな鳥がいたに違いない。
鳥って、声がしても姿が見えなかったり、姿が見えても影だけだったりで、識別するのも難しいし、じっくり眺めたくてもそうはいかない。
それでも確実に言えることは、その存在そのものが、私たち人間の目や耳や心を楽しませてくれることだ。
ルリビタキには会えなかったけど、その後ドバトに会った。
一羽で地面をつつきながら餌を探していた。
公園のハトと違い、森で会うハトは単独行動だ。
おじさんに餌をもらったりせず、自力で餌を探している。
1時間ばかり鳥を観察して思った。
鳥は一日中何をしているかと言うと。
鳥は基本的に一日中餌を探している。
その人生、餌を探して生きている。
生きるために食べ、食べるために生きる。
シンプル。
ああ、私たち人間はなんといろんな柵(シガラミ)に縛られているのだろう。
生きることに一生懸命になること。
お歌を歌って楽しむこと。
鳥の生き方。
オーバーかなぁ?
いや、私は鳥を見てそれを教えてもらう。
そしてさらに教えてもらう。
地球は、人間だけのものではないということを。
川をタイルで固めたり、コンクリートで整備したり。
“整備”と言っているのは人間だけで、虫や魚や鳥たちにしたら冗談じゃない。
人間の都合で自然を破壊してはいけない。
もう昔から何度も言われ続けてきて、もはや麻痺しているかもしれないこの言葉。
でも、鳥を見ていると本当にそう思うよ。
そして私の心は清らかに癒されていくよ。
ありがとう、鳥さん。
いつか、私が空に向かって両腕を広げたら、集まってきて止まってください。
(それは無理か!笑)
■リンク先はデジタル図鑑でした■
家のベランダの前に、多摩川に繋がる大栗川というのが流れているのだけど、その川を覗くとたくさんの鳥達が思い思いに暮らしている。
たった10m。目と鼻の先でコバルトブルーに光り輝く宝石のようなカワセミが行ったり来たり水面スレスレに低空飛行。
そしてペリカン目のカワウが羽を広げる独特のポーズで羽を干している。
川辺にたわわに実ったブルーベリーによく似た木の実には、ムクドリとヒヨドリが群がっていた。
みんな美味しそうに必死で食べていた。
こんなところにこんな実がたくさんなっていることによく気づいたね。
ちなみに、駅前の木にムクドリの集団寝床があったんだけど11月くらいから見かけなくなった。
てっきり夏鳥で海を渡っていったのだと思ったら、どうやら寝床を変えたみたい。
ムクドリは留鳥だった。
その下には、コサギが魚を待っている。
その横にはアオサギもじっとしている。
そしてセグロセキレイは飽きもせずにつがいで追いかけっこ。カルガモはのんびり川底をかじっている。
たった、家から10m先での風景。
鳥達は私が見てようと見ていなくとも、毎日こうやって生きている。
ムクドリとヒヨドリを見ていて思った。
「冬」って、あらゆる植物が枯れてしまうのかと思っていた。
「冬」には花も咲かず、実も実らないと思っていた。
「冬」でも葉っぱをたくさんつける木があって、実がなる木があるんだ。
鳥達の命の木があるんだ。
そして私は森へ向かった。2ヶ月ぶり。
冬鳥の青い鳥ルリビタキを探しに。
「森」とは、うちから徒歩15分~20分くらいの「都立桜ヶ丘公園」。
かなり広く深い。
少し登るとシジュウカラとコガラの混群に出会った。
このカラ類たちはよく交じり合って混群を作る。
(現在『鳥はなぜ群れるのか』という行動生態学の本を読んでいます)
群れの割合から言うとシジュウカラが7割くらいを占めている感じがしたなぁ。
シジュウカラは「ツーピーツーピー」とさえずる。
この子たちはチョンチョン枝から枝によく移る。
眺めていると「ゲェー」とか「ギィー」とか声がして、「あ、コゲラだな?」と思ってキョロキョロ探すとはい、いました。
コゲラちゃん。キツツキですよ。
頭のフサフサした冠毛がかわいい♪
キツツキなので、木の枝ではなく幹に縦に止まるんです。
鳥ってそれぞれ動きとか、鳴き声とか、模様とか、特徴や習性があってとってもおもしろい。
なにより可愛い。
癒される。
あら?違う鳴き声がする。
双眼鏡を覗くとヤマガラちゃん。
春になると「ツツピーツツピーツツ」とゆったりさえずります。
冬の間はそんなゆったりした声でさえずっているのは聴いたことがないなぁ。
他にも色んな鳴き声が聴こえていたので、まだまだ色んな鳥がいたに違いない。
鳥って、声がしても姿が見えなかったり、姿が見えても影だけだったりで、識別するのも難しいし、じっくり眺めたくてもそうはいかない。
それでも確実に言えることは、その存在そのものが、私たち人間の目や耳や心を楽しませてくれることだ。
ルリビタキには会えなかったけど、その後ドバトに会った。
一羽で地面をつつきながら餌を探していた。
公園のハトと違い、森で会うハトは単独行動だ。
おじさんに餌をもらったりせず、自力で餌を探している。
1時間ばかり鳥を観察して思った。
鳥は一日中何をしているかと言うと。
鳥は基本的に一日中餌を探している。
その人生、餌を探して生きている。
生きるために食べ、食べるために生きる。
シンプル。
ああ、私たち人間はなんといろんな柵(シガラミ)に縛られているのだろう。
生きることに一生懸命になること。
お歌を歌って楽しむこと。
鳥の生き方。
オーバーかなぁ?
いや、私は鳥を見てそれを教えてもらう。
そしてさらに教えてもらう。
地球は、人間だけのものではないということを。
川をタイルで固めたり、コンクリートで整備したり。
“整備”と言っているのは人間だけで、虫や魚や鳥たちにしたら冗談じゃない。
人間の都合で自然を破壊してはいけない。
もう昔から何度も言われ続けてきて、もはや麻痺しているかもしれないこの言葉。
でも、鳥を見ていると本当にそう思うよ。
そして私の心は清らかに癒されていくよ。
ありがとう、鳥さん。
いつか、私が空に向かって両腕を広げたら、集まってきて止まってください。
(それは無理か!笑)
■リンク先はデジタル図鑑でした■
by kusanohiromi | 2012-01-19 01:08 | 生き物ネタ