クレヨンの話

昨日(3月31日)のライブで、新曲をやる前にMCでも話したけれど。

新曲「与える人」は、母の歌だ。

クサノ家は決して経済的に貧しい家庭ではなかった。
そのはずなのだが、私の母は、いつも自分のことは後回し。
ブランド物も一切持たない。
自分の物は買わない。

いつも私たち兄弟3人に与え続けてくれた。

しかし決して贅沢をさせたり甘やかしたりはしなかった。

「まだ使えるものは捨てない」と歌詞に出てくるのだが、そのエピソードを一つ。

私が小学校低学年のとき。

クラスで「みんなクレヨンを注文しましょう」と紙が配られた。
「よいこのクレヨン」とかだったか。

クラスの全員が、何の滞りもなく注文用紙に記入し、同じ揃ったクレヨンを買った。
しかし私の母は。

「うちにはクレヨンはありますので、それを持たせます。」と先生に断って、クレヨンを買ってくれなかった。

確かにうちにはクレヨンはあった。


それは、お菓子の缶に入ったクレヨン。
外側に巻いてある紙もとっくの昔に剥がれ、はだかんぼのクレヨン。
長さもバラバラのクレヨン。
周りの紙がないから汚れて何色だか分からなくなったクレヨン。


私は新しいクレヨンがとっても欲しかったけど、一度は母の言うとおりお菓子の缶に入ったクレヨンを持って行った。

すると案の定、私以外のクラス全員の子が、新品のピカピカの、とってもかわいい「よいこのクレヨン」をズラっと机の上に並べていた。

私だけがお菓子の缶。

先生が「では水色のクレヨンを出して下さい。」って言っても。

「水色どれや?これか?汚くてよう分からん・・・。」
そんな状態。

みんなのピカピカの可愛いクレヨンがとっても羨ましくて、そして自分のお菓子の缶のクレヨンがとっても恥ずかしくって、私は家に帰ってからワンワン大泣きした。

母に「クレヨン買って!クレヨン買って!」と大泣きしてすがった。

それでも母は、断固として「あるから必要ないでしょ。」と言った。

私は本当に悲しくて、泣きじゃくりながら家を飛び出した。
兄もとっても心配そうに終始様子を伺ってくれていた。

公園や草むらをブラブラして時間を潰し、涙が乾いたころにトボトボとうちへ帰った。

帰ると。

母が「弘美ちゃん」と何か差し出した。

「クレヨンだ!!!!」

クレヨンを買ってくれたのだ!?やっぱり!
・・・・と思って見ると、母の手作りの「よいこのクレヨン」がそこにはあった。

外箱も母の手書きの絵。
中には長さがバラバラのクレヨンに、ひとつひとつ「よいこのクレヨン」と母が書いた紙が巻いてあった。

子ども心に、私は。


「ああ、ここまでされたらもう言えへんわ。諦めよ。」と思ったのだ(笑)。


母はいつも、「人と同じでなくて自分で考えなさい。」と私たち兄弟を教育した。
「○○ちゃんがやっているから。みんなが持っているから。」そういう理由ではなく、自分で考え自分の判断基準を自分の中に持て、と。

辛いこともあったけど、そうやって育ててくれたことを今ではとても感謝している。

母は本当に必要なものだけを、惜しみなく与え続けてくれた。
お返しなんてできないのに、与え続けてくれた。

新曲「与える人」は、そんな母の歌なのである。

4月は12日と25日がライブです。
聴きに来てね。
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by kusanohiromi | 2011-04-01 22:15 | 家族  

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