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あの日

いつまでも地震のせいにして落ち込んでいられないのでブログを再開します。

あの日、地震の日、私は新宿のショールームで仕事をしていた。

よくある小さな揺れがあり「あ、地震だ。」と言っていた。
いつもならそれで終わり。

ところがその日は違った。
揺れはおさまるどころか次第に大きくなり、立っているのもやっとの状態になった。
東京でこんな揺れは初めてで、一瞬「あ、この天井崩れるかも」と頭を過ったほどだった。

けっこう長く揺れていた。

すぐにネットを見て震源地が東北ということを知りゾッとした。
壊滅的被害を受けていることはコンマ数秒で理解した。
まさか、それが津波によるものであるとは思いもしなかったが。

私の会社の東京支社&ショールームがあるところは、新宿西口エリアの超高層ビルが立ち並ぶあの辺りで、地震後数分経っても高層ビルは揺れ続け、その辺のビルで働く人たちはヘルメットをかぶって避難していた。

帰りの交通は全て遮断され、テレビの予言番組で言われた「帰宅難民」が、本当に東京の都市部に溢れ出した。

支社長の指示で、営業マンの車で相乗りして送ってもらうことになったのだが、車は大渋滞。
信号一つに30分~1時間かかり、いつも30分で帰宅している道のりを7時間かけて帰った。

途中、どうしてもトイレに行きたくなり車を降りた。
甲州街道沿い。昔は旦那のバイクの後ろに乗って走った道。
今は徒歩で帰宅するものすごい人の帯と自転車。こんな光景を見ることになるとは。

コンビニのトイレは大行列。

と、そこに。

旦那の仲良しのミュージシャン仲間が経営し、旦那が大好きなラーメン屋「誠屋」が。

なんだかものすごくホッとした暖かい気持ちになり、コンビニの行列を避けてシャッターの半分締まっている誠屋に入ってみた。

宮田さん(知り合いで店長)はいなかったのだが、「トイレ貸してください」と言うと「どうぞ!どうぞ!」と快く貸してくれた。

ものすごくホッとした。

そして少し話すと、その従業員の方は私の旦那のことも良く知っていて「池ぽん友達だよ!まきちゃんも!エアロノーツも!みんな友達だよ!なんだ、池ぽんの嫁なの!?」と言ってくれた。

こんな非常事態の中、旦那や友人のことを知っている人に会えただけでなんとホッとしたことか。

地震後比較的すぐに宮城の友達(赤ちゃんを抱えている)に連絡を取って、無事が確認できたことは良かった。
その後は電話はもちろんメールもつながりづらかった。

旦那は、新宿から聖蹟桜ヶ丘まで徒歩で帰宅した。
これまた7時間かけて。

帰宅してテレビの前にはり付き、まだ少ない情報にかじりついた。
眠れぬ夜を迎えた。

それがあの日の出来事。

そしてあの日のあの数分を境に、生活が一変してしまった人たちがいる。
夢であったら、とどれだけ思うだろう。
思えど現実。立ち向かうしかない。

家もある、衣服もある、家族もある。
私にできることはなにか?

これから必死で考え、実行し、信じていきたいと思う。
直接地震に関係のないこともブログに書くかもしれないが、日本の全国にいる私の知人や全ての人、海外にいる私の友達に、伝え、そして勇気を与えることができたら!

良い気を広めたり、考えるきっかけになれたら!と思って書きます。

よろしくお願いします。
みんなで一緒に頑張ろう!!!

by kusanohiromi | 2011-03-11 09:18  

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