学ぶということ
2011年 02月 07日
本日、池上彰さんの番組で、アフリカで最貧国といわれる「マラウイ」で奇跡を起こしたウィリアム少年について放送していた。
私は、マラウイという音は聞いたことがあっても恥ずかしながら「国だっけ?都市だっけ?」という認識しかなかった。
マラウイはアフリカ大陸の南東に位置し、細長い小さな国。
そこは、アフリカの抱える問題を全て映し出したようなアフリカでも最貧国といわれている国なのだそう。
電気が通ってるのは今でもわずか7%。
国民の世帯ほとんどが一日わずか1ドルで生活している。
キレイな水も満足に飲むことができないため蔓延する病気。
HIV・・・。
主な産業は農業。学校で教育を受けることができる子供はごくわずか。
ノートや鉛筆すら買うお金がないので、子供に“将来役に立つための先行投資”をする余裕などない。
明日、いや、今日食べることが最優先なので子供たちも学校に行かず農業の手伝いをするのである。
そんな状態の中、14歳の少年が国を変えた。
彼の「知りたい!」という欲求が、国を変えた。
少年はお金がなくて満足に学校に行くことができなかったのに、図書館に来る日も来る日も通って本を借り、英語、そして科学やエネルギーの本を読み漁る。
分からないことがあると図書館の先生の家まで行って「この言葉はどういう意味?」と聞きに行ったそうだ。
少年をそこまで突き動かしたものは、初めは「自転車のライトはどうして付くのか?」ということだった。
そうしてある日、彼は風の力を利用して、電気を起こせることを知る。
電気があれば、暮らしが豊かになる!
そう確信した彼のとった行動とは、自ら廃材置き場へ出向き、トラクターの部品やトタンなどを拾い集め、5mもの高さの塔を建てそこに風車を手作りしたのだ。
途中、「遂に頭がおかしくなった」と笑われたり、「干ばつ続きで雨が降らないのはこの塔のせいだ!」と村人から石を投げられたり、無知ゆえの根拠のない仕打ちまで受けた。
それでも彼は止めなかった。
3ヶ月をかけて完成し、羽のストッパーをみんなが笑って見ているところで外す。
すると・・・。
羽が回りだし、、、
電球が付いた!!!!
彼は自らの手で電気を作り出したのだ!!!
そのおかげで村はどんどん豊かになった。
どんどん電気を村の人へも供給した。
今彼は、そのニュースを見た世界中の人からの寄付で、アメリカの大学に留学して学び続けている。
池上さんからインタビューを受けた彼がこう言った。
「僕は人生に選択肢を2つ以上持っていたい。そうすれば何をすべきで何をすべきでないか分かるから。」と。
食べるためにそこから抜け出せない農民には絶対なりたくなかったのだと。
私もいつも自分の心の中に持っている。
「人生は選択だ。あとは勇気だ。」
自分がここでこうして生きているのは、今までの自分の選択の結果だ。
「こんなことできっこない。」と最初から諦めてしまっては結果もそれなりにコンパクトなものになるだろう。
「ここまで」と限界を作っているのは、自分の心なのだ。
私は、というか日本に生まれた人なら誰しもそうだと思うが、スイッチを入れれば電気が付くし、誰かが発明したものを買って使う、それだけだ。
何か生活に必要なものを、自ら学んで手作りをしたことなど一度もない。少なくとも私は。
電気すらない国の天才少年の学びたい欲は、風力発電を手作りするまでの爆発的なエネルギーだった。
そういえば、旅人が言っていた。
「夢は逃げない。逃げるのはいつも自分。」
選択肢はできるだけたくさんあった方がいい。(と、私は思っている)
選択の幅を増やすのは、好奇心と努力。
準備をした人のところにだけそのチャンスはやってくる。
だからある意味、人生は準備だ、とも思う。
私はまだ何も諦めてはいない。
でも、何一つ成し得てもいない。
いつになったら形になるのかも分からない。
もしかしたら人からは「バカだなぁ。才能ないのに。」と思われているかもしれない。
そしてそのまま死ぬかもしれない。
でもやっぱり諦めるつもりはない。
(音楽については既に「諦める」とか「諦めない」の次元の話ではないのだが)
ウィリアム少年が言っていた。
「うまくいかないことがあっても諦めないこと。」
良く使われる言葉だけど、結局シンプルなことなんだろう。
うん。
サンキュ!
私は、マラウイという音は聞いたことがあっても恥ずかしながら「国だっけ?都市だっけ?」という認識しかなかった。
マラウイはアフリカ大陸の南東に位置し、細長い小さな国。
そこは、アフリカの抱える問題を全て映し出したようなアフリカでも最貧国といわれている国なのだそう。
電気が通ってるのは今でもわずか7%。
国民の世帯ほとんどが一日わずか1ドルで生活している。
キレイな水も満足に飲むことができないため蔓延する病気。
HIV・・・。
主な産業は農業。学校で教育を受けることができる子供はごくわずか。
ノートや鉛筆すら買うお金がないので、子供に“将来役に立つための先行投資”をする余裕などない。
明日、いや、今日食べることが最優先なので子供たちも学校に行かず農業の手伝いをするのである。
そんな状態の中、14歳の少年が国を変えた。
彼の「知りたい!」という欲求が、国を変えた。
少年はお金がなくて満足に学校に行くことができなかったのに、図書館に来る日も来る日も通って本を借り、英語、そして科学やエネルギーの本を読み漁る。
分からないことがあると図書館の先生の家まで行って「この言葉はどういう意味?」と聞きに行ったそうだ。
少年をそこまで突き動かしたものは、初めは「自転車のライトはどうして付くのか?」ということだった。
そうしてある日、彼は風の力を利用して、電気を起こせることを知る。
電気があれば、暮らしが豊かになる!
そう確信した彼のとった行動とは、自ら廃材置き場へ出向き、トラクターの部品やトタンなどを拾い集め、5mもの高さの塔を建てそこに風車を手作りしたのだ。
途中、「遂に頭がおかしくなった」と笑われたり、「干ばつ続きで雨が降らないのはこの塔のせいだ!」と村人から石を投げられたり、無知ゆえの根拠のない仕打ちまで受けた。
それでも彼は止めなかった。
3ヶ月をかけて完成し、羽のストッパーをみんなが笑って見ているところで外す。
すると・・・。
羽が回りだし、、、
電球が付いた!!!!
彼は自らの手で電気を作り出したのだ!!!
そのおかげで村はどんどん豊かになった。
どんどん電気を村の人へも供給した。
今彼は、そのニュースを見た世界中の人からの寄付で、アメリカの大学に留学して学び続けている。
池上さんからインタビューを受けた彼がこう言った。
「僕は人生に選択肢を2つ以上持っていたい。そうすれば何をすべきで何をすべきでないか分かるから。」と。
食べるためにそこから抜け出せない農民には絶対なりたくなかったのだと。
私もいつも自分の心の中に持っている。
「人生は選択だ。あとは勇気だ。」
自分がここでこうして生きているのは、今までの自分の選択の結果だ。
「こんなことできっこない。」と最初から諦めてしまっては結果もそれなりにコンパクトなものになるだろう。
「ここまで」と限界を作っているのは、自分の心なのだ。
私は、というか日本に生まれた人なら誰しもそうだと思うが、スイッチを入れれば電気が付くし、誰かが発明したものを買って使う、それだけだ。
何か生活に必要なものを、自ら学んで手作りをしたことなど一度もない。少なくとも私は。
電気すらない国の天才少年の学びたい欲は、風力発電を手作りするまでの爆発的なエネルギーだった。
そういえば、旅人が言っていた。
「夢は逃げない。逃げるのはいつも自分。」
選択肢はできるだけたくさんあった方がいい。(と、私は思っている)
選択の幅を増やすのは、好奇心と努力。
準備をした人のところにだけそのチャンスはやってくる。
だからある意味、人生は準備だ、とも思う。
私はまだ何も諦めてはいない。
でも、何一つ成し得てもいない。
いつになったら形になるのかも分からない。
もしかしたら人からは「バカだなぁ。才能ないのに。」と思われているかもしれない。
そしてそのまま死ぬかもしれない。
でもやっぱり諦めるつもりはない。
(音楽については既に「諦める」とか「諦めない」の次元の話ではないのだが)
ウィリアム少年が言っていた。
「うまくいかないことがあっても諦めないこと。」
良く使われる言葉だけど、結局シンプルなことなんだろう。
うん。
サンキュ!
by kusanohiromi | 2011-02-07 02:07